会津本郷焼(宗像窯)は、 1593年に領主である蒲生氏郷が鶴ヶ城の屋根瓦を製造させたのが始まり。現在、会津本郷焼の窯は17あり、宗像窯はそのひとつ。宗像窯は、1718年に宗像大社の神官の傍らで開窯。飴色に輝く飴釉を使って作られる陶器は、古くからにしんの山椒漬け専用の「にしん鉢」で知られている。
末家焼の始まりは元禄時代、亘理伊達家の御庭焼。廃窯と復興を繰り返し、昭和60年に亘理町長瀞に京都で修業した加藤ひろ子氏とその夫、文夫氏が窯を築き、末家焼窯元・ひろ窯として現在に至る。
堤焼乾馬窯は、黒釉(こくゆう)に糠白(ぬかじろ)釉を奔放に流し掛けした、海鼠(なまこ)釉が特徴で、仙台でとれる良質の粘土が使用されている。
豊かな自然の中で作陶するために、家族で東京から福島県二本松市木幡に移住し築窯。
釉薬の原料にもこだわり自分でワラを焼いたワラ灰と、木を焼いた木灰を使用、また日本人に昔から親しまれてきた藍色(あいいろ)の世界を表現、「練込象嵌」というオリジナル技法にも挑む。
赤松の薪を燃料とし、穴窯で焼成した焼締を中心に地元の草木を原料とした釉薬の陶器も手がける。 宮城県や山形県の粘土を中心に使用。1971年東京都生まれ//1998年岡山県備前焼作家榊原貢氏に師事/2002年築窯、独立
23歳の時に日本の焼き物の勉強をするためにイギリスから来日、東京の陶芸スタジオや、福島の大堀相馬焼で焼き物の知識を学ぶ。その後、約30年前に柴田町にて雷窯(いかづちがま)を築窯。『希望』や『平和』の象徴でもある虹の色合いが特長。
北上川のほとりにある三輪田(みのわだ)地区の豊かで厳しい自然に魅せられ約16年前に開窯。
平成7年堤焼 四世針生乾馬氏の門人となり、陶技を学ぶ/平成15年宮城県石巻市三輪田に築窯。
天保12年開窯以来、新庄戸沢藩御用窯として日常の生活の中で使用できる陶器を製作するという家憲を守り、敷地内の豊富な陶土と、出羽の雪のかげりの色と言われる「なまこ釉」をはじめ種々の家伝の釉薬を用い製造。
小久慈焼は、200年以上前の江戸後期に初代熊谷甚右衛門から始まり、6代目までは熊谷家が継承・その後、市の後継者育成事業に選ばれた下嶽智美氏の父・下嶽毅氏が、養成学校を経て7代目の小久慈焼の窯主となり、1995年以降智美氏が引き継ぐ。
青森の大自然に育まれたブナの色、三陸の荒波に揉まれた海草の色と称される独自の緑釉を施した八戸焼は、日用食器、花器、茶器、酒器などを中心に創作。昭和50年に窯元初代『渡辺昭山』の手によって再興。2000年に真樹氏が引き継ぐ。